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・・・寝言の如く書き綴る日々の思い付き・・・


第173話 (1999.07.15)歌う門には福来たる

よくよく思い返してみると、本欄は何やら断定的な言い回しで始まることが多いような気がする。まあこれは多分に性格的なところと言うか、物事の好き嫌いがはっきりしている性分のせいと、とりあえずお題目を真っ先に明示しておけば後の話の展開がやりやすくなるからである。そういうことで今回もさっそく言わせて頂くと、俺はカラオケが嫌いだ、ということだ。今回はこれを高らかに宣言したいのである。

ところで、なぜカラオケが嫌いか。その主だった理由については以前にこんなことを書いたので、まずはそちらを参照して頂きたい。と思ってもう一度その文章を読み返してみると、嫌いだ嫌いだと言っている割には、なにやら人一倍楽しんでいたように書かれているように我ながら思う。いかん。これでは先ほどの主張やら性分やらと、実際の行動の間に幾ばくかの矛盾が生じているように読めるような気がしないでもないが、いやそれは違うのだ。全然まったくそんなことはないのだ。とにかく俺はカラオケが嫌いなのだ。嫌いったら嫌いっ。

とまあ嫌い嫌いということなのだが、最近自分でも何やら少しヒステリックになっている気がして、ここで少し冷静になって改めて考えてみるのである。俺は何故カラオケが嫌いなのか、と。で、ここで書いたこと、つまりカラオケ施設の音質が悪いだの希薄な人間関係が嫌いだのというのは、まあ確かにその通りであって、俺がカラオケを嫌いたらしめている大きな理由であることに間違いはない。しかしじつはここで正直に白状すると、それは建前というか言ってみればオマケのような理由であり、実は根本的かつ本質的な理由ではないのだ。

では俺がカラオケを嫌う本当の理由とはなにか。それはまあぶっちゃけて言うと、要するに歌が下手っぴだということなのである。ええ、ええ、そうなんです下手なんです。自分でも分かっているんです。いやむしろ自分で分かっているからこそ、歌うのがとてもイヤなんです。恥ずかしながら私、歌が下手なのであります。と、下手だ下手だと何回も言っているとだんだん情けなくなってくるのだが、いやしかしここは自分の名誉のために敢えて言わせていただくが、確かに歌は下手なんだけども、いわゆる本物の音痴というわけではない。本物の先天性音痴の人というのは、自分の出している声の音程やリズムがさっぱりつかめず、はたしてバックミュージックと自分の声とが合っているのか合っていないのかがまるで理解できない人のことを言うのであって、俺は自分の声の音程が外れているのをきちんと正確に認識できるのである。外しているのを正確に分かるというのもなにやらおかしな話のようだが、実際にそういうことなのだ。

ところで、楽器を演奏するための相対音感(あるいは絶対音感)の能力と、音程差を認識してそれを自分の声として発声する能力というのは、本質的に別物なのだそうである。それはそうだ。周りの演奏者や自分が出している音を耳で聞き、音程やリズムを正確に認識した上で手なり指なり足なりの筋肉を動かして楽器を演奏するという一連の動作と、声帯の筋肉を操作して声としての音程を調整する動作とでは、特に楽器を演奏する者にとって両者は全くの別物だと明らかに理解できる。

ところが世の中には天から二物を与えられた人がいて、楽器もこなしつつしかも歌も非常に上手いという、実に恵まれた星の下に生まれた人間が存在することは確かである。もちろんその持って生まれた二つの才能も研鑚してはじめて効力を発揮するのであって、きっと血のにじむような努力の結果能力を開花させたのであろうが、そういう人がプロのミュージシャンになりしかも耳目を集めるほどのそれなりの活躍をしてしまうと、一般のリスナー達に対して、ある誤った認識を彼らの脳に植えつけてしまうのである。「楽器の演奏が出来るんだったら歌だって歌えるだろ」と。

これは全く間違っている、と俺は声を大にして言いたいのだ。げんにほれ、ここにそのサンプルがいるではないか。自分で言うのもなんだが、俺はこう見えても高校時代は「横浜のリッチー・ブラックモア」あるいは「横浜のエディ・ヴァン・ヘイレン」、またの名を「横浜の野村義男(ザ・グッバイ)」と呼ばれるほどのギターの腕前を誇っていたのだ。もちろん早弾き、タッピングはなんのその。ネオ・クラシカル系ギターリスト御用達のスィープピッキングだってお茶の子さいさい屁のかっぱである。イングヴェイ・マルムスティーンなにするものぞ、ってな具合である。

いやまあ、今のは話半分そのまた半分程度に聞いてもらって一向に差し支えないのだが、しかしギターの技量はともかく、耳の方はそれなりに自信があるのだ。音を聞いて音符を探ること、いわゆる耳コピは得意中の得意で、たいていのフレーズだったら何回か聞けばギターですぐになぞることが出来る。さっきのイングヴェイ云々はかなりの法螺が入っているが、こっちは本当っす。嘘じゃないっす。

と、そんな俺なのに、ああ俺なのに、何故か歌はからきし駄目である。まったく駄目なのである。ね?ほら、楽器が出来れば必ずしも歌が上手いなんてことは全然ないんですよ。騙されちゃいけませんよ。偏見をもっちゃいけませんよ。いいですか皆さん。

しかしだ。このまま歌が下手っぴのままで俺はいいのだろうか、と考えてみるのである。あと何年あるのか知らないがこれからの残りの人生、歌下手と揶揄され蔑まされ石もて追われる屈辱の後半生となってもただ甘受するしかないのか、と想像してみるのである。付き合いで入ったカラオケボックスでやることがないのでとりあえず歌本を眺め、「いやあメタリカがカラオケに入ってるなんて知らなかったよ」と一人呟きながら、あとはひたすら酒を浴びて過ごすことに何の意味があるのか、とやり場のない怒りに打ち震えてしまうのである。

特訓である。とにかく歌って歌って歌いまくって、歌うという動作を体にそして喉に無理矢理叩き込むのだ。とりあえずは耳には自信がある。それにリズムにも問題はない。あとは正確な音程を発生するという技量をどうにかして会得すればいいのだ。そのためにはまず場所が必要だ。下手な俺が大声で歌っても迷惑にならないところを、まず第一に見つけなければならない。それはやはり車の中であろう。車中であれば外界とある程度遮断されているので、特に走行中であれば大声を出しても声が外に漏れることはほとんどないはずだ。音響機器も揃っている。カーステレオにCDやカセットテープをセットすれば、即席のカラオケボックスの出来上がりだ。

ということでさっそく車内練習といきたいところなのだが、次の問題は課題曲である。何がいいであろうか。当然ながらできるだけ歌いやすい曲がいいだろう。条件的にはまずはあまり凝った曲調ではなくメロディに変なクセのない、しかし多少音程を外しても気分良く歌えるように適当にテンポが良く、そして日本語歌詞のものがいいのではないか。うーむ、この条件で手持ちの音源の中から選ぶとなると、もうあれしかあるまい。

横浜ベイスターズ応援歌「熱き星達よ」。

よし。まずはこれで喉を徹底的に鍛えるのだ。明日のため、そしてやがて来る明るいカラオケライフのために、歌うべし歌うべし。えぐり込むように歌うべし。



一つ前の寝言
第172話 雨百景(1999.07.13)
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