みくだり日記    2000年11月後半
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11月30日(木)
  松本出張を終え、一週間ぶりに通常出勤。出張中は普段よりも二時間近く早い、午前七時や六時半という、俺としては驚異的な早起き生活の毎日を送っていたのだが、今日の起床はすっかりいつもの時間である。よもやこのまま早起きな人に生まれ変われるか、と淡い期待もむなしい。長年の生活で骨の髄まで刻み込まれた体内時計の針は、たかだか一週間ぐらいの外乱ではびくともしないということか。

  さがに一週間も席を外していると、配布物やらメールやらが山のようにたまっている。これも出張ボケとでもいうのだろうか、なんとなく頭がしゃっきり働かないので、とりあえず午前中はそれらを片づけることに専念だ。封を開ける前にゴミ箱直行のくだらないダイレクトメール、「総務からのお知らせ:水道工事の日程について」といった類から、思わずはっとする重要な案件の直メールまで。玉石混合の活字の渦。一週間の出張で「プチ浦島太郎状態」になった脳には、こうして活字の海の洗礼を受けさせるのが、前線復帰に向けてのリハビリの最善手である。しかし玉石だけに、ときおり眠くなるのが玉にキズ。だめじゃん。

  ということで明日から十二月。


11月29日(水)
  昨日から全国的に冬型の気圧配置が強まり、北海道や北日本などではずいぶんと降雪があったとテレビのニュースで報じていた出張最終日。松本もその例に漏れず、今日は今年一番の冷え込みとなった。さすがに平地では降らなかったものの、山の上ではかなりの積雪があったようで、昨日までは鈍色に霞んでいた頂や尾根も今日はうっすらと白くなっている。大変寒い。大変寒いのではあるが、朝一番の冷たい空気を吸い込みながら入る露天風呂は大変に暖かく、そして大変に幸せである。ああ温泉最高。温泉万歳。やっぱり昨日帰らないでよかったのことよ。

  ちなみに宿泊した浅間温泉は、松本の市街から東へ約三キロに位置し、温泉としての歴史は五世紀にまで遡るという非常に由緒正しいところ。当時の土地の豪族が発見してから約千五百年の間、松本を預かる権力者達の湯の地として栄えてきたとのこと。江戸時代には松本藩の奥座敷として(“温泉番”というお目付役もあったらしい)、近代に入ってからは多くの文人墨客に愛され、特に正岡子規や伊藤左千夫からなるアララギ派発祥の地として知られ、与謝野晶子や竹久夢二などもここを訪れて詩歌や絵画の作品を作り上げたそうである。街自体はこぢんまりとして、いかにも地方都市にありがちな温泉街といった趣だが、古めかしい作りの建物があちこちに現存していたり、なるほどそう言われてみれば歴史の匂いが街の空気にはそこはかとなく漂っている気はする。

  温泉ホテルをチェックアウトした後は、まっすぐ帰宅の途へ。平日の午前中とあって渋滞もなく、実に快適なドライブで帰京である。途中長野と山梨との県境のあたりで、山頂が白く染まった実に見事な富士山の姿がくっきりと見えた。富士山を見るとなんとなく縁起が良いような気がするのは、俺の遺伝子に組み込まれた日本人気質のなせる技だろうか。さすがに手を合わせたりはしなかったけど。

  ということで出張の全日程は終了し、明日から通常勤務である。今週末からは師走に突入。出張に行っている間に、なんだかいつのまにか十一月が終わってしまうのだった。


11月28日(火)
  出張五日目。昨日だって相当寒く、夜に晩飯を食べるために外に出たときは、あまりの寒さに吐く息が凍りそうだったが、今朝もさらに一段と冷え込んだ。それでも昨日までは晴れ渡った空の青さが冷たい空気感とよくマッチして、なんとなく清々しさみたいな感覚が寒さを少しだけ中和していたような気がしていた。だが今日は灰色の雲がどんよりと垂れ込めた憂鬱な空模様である。寒さ感倍増である。と思っていたら、なにやら空から白いものがチラチラしてきた。おお、雪だよ雪。ううむ、寒いはずである。

  ところでこの松本出張では、最終日前日は近くの温泉宿に宿泊するのが恒例になっているのだ。出張と言えば当然ながら本来はお仕事。宿泊費の差額は自腹を切るとは言え(当然宿泊費は全て会社から支給されるが、当然一泊分の金額は決まっていて、温泉宿に泊まるとその宿泊費は規定額よりも高い)、仕事で来ているのに温泉に入るなぞそれはちょっとどうかと思わなくもないが、しかしわざわざ遠く松本まで、しかも土日を削ってまでやって来て、毎日毎日朝から晩まで黙々と地味な測定作業をやっているのである。一日ぐらい温泉に浸かっても罰が当たるということはなかろう。ということで今回の出張も、松本市街からほど近い浅間温泉という温泉街のホテルに最終日の宿泊を予約してあるのだった。

  ところが当初の予定では全ての作業が終わるのは明日の午前中いっぱいのはずだったのだが、この最後の温泉を目指して頑張りすぎたからかどうなのか、結局明日を待たずして今日で全測定が終了してしまったのである。

  これは困った。ある意味、大変困った事態である。もちろん仕事が早く終わったのであれば、このままこちらに滞在したとしても、明日は特にやることなんてない。残念ながらせっかく予約した温泉ホテルは涙を飲んでキャンセルし、このまま中央自動車道を一路東京へ帰るのが筋、である。あああ、しかし温泉が。温泉が俺を呼ぶのだ。俺の体が温泉を欲しているのだ。

  ということで、今日は当初の予定通りに温泉に泊だ。明日は車に乗って帰るだけのただの移動日だ。平日だけど移動日だ。そう決めたのだ。ああ温泉最高。温泉万歳。


11月27日(月)
  出張四日目。昨日の暖かさとはうってかわって今朝はかなり冷え込んでいる。朝飯を食べて、さあ今日も某大手情報機器会社へ行こうとホテルの駐車場に向かったら、車のフロントガラスがバリバリに凍っていた。関東だったら一月や二月の冬本番にならないと、ここまで気温が下がることはないよなあ。うう、寒い。

  そう言えば病み上がりで寒い所に来て、またぞろぶり返したらどうしようかと思っていたのだけど、いつの間にか体調はすっかり良くなってしまった。ただ毎日乾燥した実験施設の中で日がな一日過ごし、パリパリに乾いたホテルの部屋で寝泊りしているせいで、喉がガラガラしっぱなしなのがちょっとつらい。ホテルでの乾燥から喉を守るには、寝るときに湿らせたタオルを枕元に置いておくといいと以前誰かから聞いたことを思い出してさっそく昨日の晩にやってみたのだが、残念ながらあまり効果はなかったようだ。ううむ、何か良い手はないでしょうか。

  実験施設を借りているこの某大手情報機器会社の事業所は、さすが研究・開発の一大施設だけあって、かなり厳重なセキュリティシステムを導入している。建物の入り口や各フロアのドアには ID カードを差し込むゲートがあって、許可された人間以外(社外の人間だけではなくおそらく社員であっても部外者は不可)出入りできないようになっている。もちろん部外者である我々も勝手にあちこち入ることはできないのだが、昼休みに昼飯を食べに行ったりたまにトイレに行く時など、使用している実験施設のみ出入りできる来訪者用の ID カードを渡されている。もしこれを忘れて建物の外に出たが最後、寒風吹きすさぶ中、閉め出しをくらってしまうことになるのだ。

  で、やってしまいましたよ私は。午後から違う建物(実験施設 B)に移動して測定作業を行っていたのだが、午前中まで使用していた別の建物(実験施設 A)に忘れ物をしてしまい慌てて取りに向かった。ところが俺が渡された ID カードでは実験施設 A は出入りできるものの、実験施設 B への入出許可が許されていない設定になっているのだった。実験施設 B の入り口ゲートにいくら ID カードを差し込んでもエラーになるばかりで、押しても引いても扉はうんともすんとも言わないのである。そういえばここに入るときには、このカードを使わずに社員の人が扉を開けた後に続いて入ってきたのだった。

  これは大変に困った状況である。いやいや、こういう時こそ落ち着くのだ。外がダメなら中からよ。そうだ、建物の中にいる同僚の携帯電話に連絡して中から開けてもらえばいいじゃん、と素晴らしいアイデアが浮かんだが、いま同僚がいるのは電波暗室という電波的に隔離された部屋の中。もちろん携帯の電波が届くわけがない。こうなったら実験施設 A にいる社員の誰かに事情を話して開けてもらうか。でもあそこは今日は俺達以外誰も使っていないようで、全く人気がない。それじゃあどこかで電話を見つけて実験施設 A に内線電話をかければいい。でも内線電話の番号が分からない。どこに電話すればいいんだか。うああ、俺は一体どうしたらいいんだ。ちょっと出てくるだけだからとコートも羽織っていない薄着の身に、山から下りてきた冷たい風が容赦なくぴゅーぴゅーと吹きつける。寒い。というか、痛い。

  結局ちょっと離れた警備室まで行き、警備の人に事情を話して扉を開けてもらって事なきを得たわけだが、まったく、なんと素晴らしいセキュリティシステムであることかと、身をもって証明してしまったわけだ私は。


11月26日(日)
  出張三日目。今日の松本の空は大変良く晴れ渡っている。朝方は放射冷却現象でかなり冷え込んだものの、日中は日差しが強い分、気温も昨日に比べるとかなり高い。空気が澄んでいるからか、今日は遠くの山が良く見える。東には車山から美ヶ原高原、南に南アルプス、西から北にかけては乗鞍から木曽御岳、黒部の山々が連なる北アルプスと、松本は山にぐるりと囲まれた盆地であることが実感できる。まだ十一月の終わりだから周りの山々はほとんど雪化粧をしていないが、もう少し季節が進むと、一気に白一色に染まることだろう。ちなみに松本は盆地だから、冬になってもそれほど雪は降らないそうだ。

  しかしこれからの季節、すぐ近くにスキー場が文字通り山ほどあるってのは、大変にうらやましい環境である。車でちょっと出ればいくらでもあるんだもんなあ。東京や千葉から車や電車で何時間もかけてやって来るのがバカみたいに思える。ううむ、買うか、この辺に別荘でも。誰が。

  今回の出張は EMC(Electro Magnetic Conpatibility)測定と言って、電子機器が不要な電磁波を出していないか、あるいは外から電磁波を浴びても誤動作しないかを調べるのが目的。EMC 測定には様々な特殊な設備が必要なのだが、残念ながら俺を雇用する会社にはその設備がない。ということで遠路はるばる松本まで馳せ参じ、設備の揃っている会社の施設を借りて測定を行わなければならないのだ。

  ということで、今日も朝から某大手情報機器メーカの実験施設内でひたすら測定作業の一日である。昨日に引き続き、大きな問題もなく実に順調。まあこれまで何度となく行ってきた測定で問題点はほぼ潰してあるから、当然といえば当然か。と言うか、ここまで来てさらに問題が発生してしまったら帰るに帰れん。

  晩飯はホテル近くの飲み屋で一杯。日本酒(地酒らしい)を飲みすぎた。明日もまた早いのに。いいのかこんなんで。


11月25日(土)
  生まれてこの方、常に寝床は布団なのでどうにもベッドには慣れないのだが、昨日は長時間の運転で疲れていたのか、午前一時ほどでバタと倒れこんだままぐっすり睡眠である。で、今朝は午前七時起床。起きぬけに熱いシャワーを浴びたりなんかして、実に爽やかな朝である。ああなんと健康的な目覚めだろうか。まったく、普段とはえらい違いである。こんなに爽やかな気分を味わえるのならば、これからは早寝早起きを目指してみるか、などと出来もしないことを思ってみたり。

  ということで、出張二日目。七時現在での気温は摂氏二度。松本の朝は限りなく寒く、そして透明である。千葉とは空気の張りや清明度が、なんだかやはり東京や千葉とは違うような気がする。松本だってじゅうぶんに都会だし、近くの国道には朝からトラックが黒煙を吐いたりしてはいるのだけど、なにか空気感が根本的に違う。単に気温が低いというだけでなく、山が近くに見えるせいだからなんだろうか。

  朝九時前から某大手情報機器系会社の施設を借りての仕事本番開始である。ここの事業所はさすが大手メーカの一大開発拠点だけあって、広大な敷地の中に建物が点々と散らばって、それはそれは立派なところなのだが、さすがに土曜日とあって人影もまばらなこともあり、なんとなく寒々とした感じ。もちろん屋内はばっちり空調が効いているから寒いおもてとは別天地の暖かさなんだけど。

  あれこれごちゃごちゃと一日中作業し、出張本番一日目は無事に終了。体調もなんとか平穏を保っている。火曜日まで、先はちょっと長い。


11月24日(金)
  世間的には祝日と土日に挟まったなんの変哲もない金曜日だが、俺を雇用する会社は先週の土曜日に毎年恒例年一回のお抱え学会が開催されて出勤日となったため、その代休として、今日は休日なのである。したがって、祝日・土日と合わせて都合四連休となるわけだ。先週からの風邪っぴきがようやく直り、体調を完全に復活させるにはこの連休は是非ともゆっくり休みたいところ。しかし今日から来週の水曜日まで、長野県は松本まで出張に行かなければならないのだ。なにもこんな時にわざわざより寒いところに行かなければならないのもまったくどうかと思うのだが、しかしこれも星の定め。そしてしがないサラリーマンの宿命。

  仕事の本番自体は明日からなのだが、朝一番から始める関係上、今日から現地入り。当初は電車でゆっくり現地に向かおうと思っていたのだけど、持っていく荷物の関係上、結局車で行くことにした。東京から松本まで、中央自動車道をひたすら走って約二百キロ。途中休憩を挟んで、だいたい二時間半の道程ってところか。もっとも今日はホテルに入って明日に備えるだけなので、あまり早く行ってもしょうがない。出来るだけゆっくり行こうと、同行者とは午後七時に中野で待ち合わせである。七時に中野を出れば、順調に行って松本着は十時前ぐらいか。あとは寝るだけなので、時間的にはまあこんなものだろう。

  さてそろそろ出かけようかととりあえずネットで道路の混雑状況を調べてみると、さすが金曜日の夕方だけあって首都高速は猛烈に混雑している。この様子だと東京を横断するだけで相当時間がかかりそうだ。ということで余裕を見て夕方四時半に自宅を出発。いくらなんでもちょっとこれでは早すぎかと思ったが、まあ早い分には新宿辺りで車を停めて時間つぶしでもしてればいいかと軽く考えていたが、しかし自宅から京葉道に入るまでが既に大混雑である。ほうほうの体でやっと京葉道に乗ったと思ったら、首都高はネットの情報通りにさらに大渋滞である。結局中野に辿り着いたのは、待ち合わせ時間ぴったりだった。ううむ、まさか二時間半もかかるとは。電車だったら往復できますがな。

  同行者をピックアップした後の中央道下りはさすがにガラガラ。いたって快適なドライブである。首都高の恨みを中央道で晴らすべく、制限速度を(大幅に)オーバーしてひたすら西へとぶっ飛ばす。途中の談合坂 S.A. で晩飯を食い、松本到着は午後十時ちょっと前。なんだかんだで予定通りでしたな。

  ちなみに松本の午後十時現在の気温は摂氏四度。東京の感覚でいくと完全な真冬である。まあ予想はしていたけど、寒い。寒いったら寒い。風邪がぶり返さないことをひたすら祈るのだ。出先で寝こんだりしたら洒落にならんもんなあ。


11月23日(木)
  ということで、今日はくにおんさんとゆきこさんの結婚式。お日柄もよく天気も上々。結婚式日よりとは、正に今日のような日を指すのである。が、俺の体調は相変わらず最悪。昨晩飲んだ薬が効いたのか、とりあえず発熱はないようだが、頭痛と体のだるさ、吐き気で布団から起きあがることが出来ない。この状態で出席しても迷惑をかけることになる(その前に式場まで辿り着けないかもしれない)ので、涙をのんで欠席とさせてもらった。

  まったく、普段は無駄に頑丈なくせに、ここぞというイベントがあるときに限って体調を崩すのは昔からだ。小学校の時の修学旅行も前日に熱を出して、結局行けなかったもんなあ。ああ情けない。

  一日寝ていたおかげか、夕方頃にはだいぶ調子がよくなってきた。今頃披露宴パーティーで、みんなケーキでも食ってるんだろうなあと思うと、布団の中で悶々と過ごす自分があまりに情けなくなって、せめて俺もと冷蔵庫の中にストックしてある「フラン 森いちご味」を取り出し、一箱一気に食ってみた。なんの味もしない。風邪のせいで狂ってしまった味覚はまだ復活していないようだ。ぽそぽそしてるだけで全く味のない、ただの長い棒を無理矢理食っていると、情けなさ感がさらに倍増という感じ。とほほ。


11月22日(水)
  どうしてもやらなければならないことがあって仕方がなく今日も会社へと行ったのだが、帰宅する頃にはすっかりグロッキー気味である。ううむ、やはり休んじゃえばよかったか。この調子でいくと、明日が大変不安だ。困った。
11月21日(火)
  しかしまったく、一体何だったんだろうか。まあ日本の将来のためを考えると、オットセイ森がもっとぼろぼろになるまで首相をやってくれた方が、来年の選挙時まで国民の怒りが続いていいのにと思っていたのは正直なところ。仮にこの段階で自民党の自浄作用で首相交代となって上っ面を整えられると、健忘症著しい世間が怒りを忘れて、何となく次の選挙でもだまされかねないからなあ。しかしこういうときに「大山鳴動して鼠一匹」って言葉は使うんですかね。「大山」じゃないか。全然。

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  先週末あたりから徐々におかしくなってきた体調がいよいよ本格的にヤバくなってきた。頭の鈍痛、赤銅に染まった喉、異様に怠い体、下りまくる腹、鉄板のように凝り固まった肩と腰、手足の節々の痛み、味覚異常、そして死ぬほど不味いタバコ。どれをとっても風邪っぴきの状況証拠は揃っている。まったく、やっと毛嚢炎が直ったと思ったら、今度は風邪かよ。ううむ、今週は風邪なんてひいてる場合じゃないのだよなあ。葛根湯のウイスキー割りでも飲んで、今日はとっとと寝よう。

  しかしまったく、タバコの不味いことといったら。なら吸うな。ごもっとも。


11月20日(月)
  一昨年、そして昨年と、「流星雨が来る」という大方の期待が完全に外れ、どうにも空振りに終わってしまった感のあるしし座流星群。勝手に煽りに煽ったマスコミも、不発に終わると手のひらを返したようにそっぽを向くのは仕方がないとしても、今年は月齢の関係上もあって、マニアも含めてほとんど世間の話題にのることはなかった今年である。当初は全国的に天候がおもわしくなかったものの、幸い最も活動が活発になる十八日〜十九日はわりあい多くの地域で天候が回復したようだ。肝心の観測結果は、十八日未明は一時間あたり三十個程度、十九日未明は十八日未明よりやや少ない程度と、やはりと言うか何と言うか、残念ながら低調な結果に終わったようである。俺も今年は見てみようかと思っていたのだが、毛嚢炎騒動やなんやかやで(単に眠かったという説有り)観測しなかったのだった。まあこの程度の数だったら見なくてもいいか、というところ。

  ところでしし座流星群というと、昨年のヨーロッパにおける大出現をピタリと予報したことで知られるイギリスの天文学者アッシャー博士が注目されている。アッシャー博士はしし座流星群の母天体であるスイフト・タットル彗星の軌道を詳細に研究し、その塵の分布からいつどこで流星群の活動が活発になるかを記した、いわゆる「アッシャー論文」で有名な人。昨年の大出現に続き、今年も十七日に発生した小ピーク(一時間に百個ほどの流星)や十八日の比較的規模の大きな出現(同三百個)を予測し、ますます理論の信憑性が高まっている。

  そのアッシャー博士によると、来年二千一年のしし座流星群は日本付近で一時間あたり一万個以上の流星嵐になると予報している。おお、そうなのかアッシャー博士。しかも来年は下弦の月が思いっきり邪魔した今年と違って、ほぼ新月に近い絶好の条件である。これは見ずにはおけないだろう。今から大変楽しみなのである。


11月19日(日)
  今日は午後から都内某所のかみさん友人宅へ。俺がかみさん友人のお宅へ訪問するときは、たいていの場合 PC 絡みの用件であることが多いのだが、今回も正にその通り、ご多分にもれず PC 関連のお話である。というのもこのかみさん友人、最近世界中で猛威を振るっているコンピュータ・ウイルス「PE_MTX.A(TROJ_MTX.A/MATRIX,MTX.A)」に PC が感染してしまったのである。

  つい先日、とある知り合いから添付ファイル付き(某アイドルの画像ファイルだ)メールを受け取ったかみさん友人は、早速メールに添付されてきた画像ファイルを開いて悦に入っていたところ、そのメールに続いて subject が無く、よくわからない名前が付いた添付ファイル付きの不審なメールを受信していることに気がついた。差出人は元メールを送ってきた知り合い。これは多分もう一枚画像ファイルを送ってきてくれたのだろうと、何の疑いもせずに添付されたファイルをダブルクリックしてしまった。ところがこの二通目のメールに添付されたファイルこそが、巧妙に仕組まれたウイルス・プログラム本体だったのである。

  起動されたウイルスは、まず Windows ディレクトリと感染ファイルが起動されたカレントディレクトリにある全ての .EXE ファイル(実行形式プログラム)の末尾に自分自身をコピーする。これらのプログラムがユーザによって起動されたときに、同様に自分自身を実行形式プログラムにコピーしていき、PC 内を自分自身のコピーで次々と侵略していく。また Windows ディレクトリに「IE_PACK.EXE」とシステムファイルである「WIN32.DLL」の二つのファイルを隠しファイルとして作成し、Windows 本体の動作を掌握。さらにネットワーク接続に必要な「WSOCK32.DLL」ファイルを都合の良いように書き換え、ネットワーク通信を監視する。この改竄した WSOCK32.DLL によって SMTP(メールを送信するときに使われる)をフックし、メールソフトによるメール送信を検知すると、同時にウイルスファイルを添付した空のメールを同じ宛て先に送信する。いわゆる「ワーム活動」と呼ばれるこの動きによって、メールを介して次々と感染の輪を広げていくのである。

  幸いにもこのウイルスは、ディスク内のファイルを根こそぎ削除したり Windows のシステムを破壊して二度と PC を立ち上がらなくさせたりという凶暴凶悪なものではなかったのが不幸中の幸いではあるが、しかしこうしてメールを介して感染していくという動作自体がウィルスをウィルスたらしめているのであり、そして迷惑なことこの上ない。元メールを送った人がウイルス感染に気がつき、メールを送ったあとすぐさまかみさん友人に連絡したので、それ以降に被害が広がることは防げたのだが、ウイルス・プログラムを実行してしまった以上、かみさん友人の PC は完璧にウイルスに感染してしまった。こうなったらもう時すでに遅し。ウイルスは Windows システムの根幹部分に根深く侵入してしまったのである。あとはディスク・フォーマットの業火でウイルスを根こそぎ焼き殺す以外に救済方法はない。

  ううむ、フォーマットって、それしか手はないのか。と思って悲嘆にくれていたところ、ダメもとでいろいろ調べてみたらトレンドマイクロの Web サイトでウイルスを駆除する方法が見つかったのである。正に「蜘蛛の糸」状態。早速ここからウィルス駆除用のプログラムをダウンロードし(ウイルスの妨害によって、ウイルスに感染した PC からはトレンドマイクロの Web サイトにアクセスできない)、ウイルスと対決すべくかみさん友人宅に乗り込んだというわけである。

  Web サイトに記されている方法にしたがい、ウイルスを駆除しシステムの再構築、さらに念のため何度かウイルスチェックをかけ、ウイルスが完全に駆除されたことを確認。二時間ほどの作業時間ののち、無事に PC からウイルスが完全に駆除された。ひとまずはめでたしめでたし、である。

  いやあしかし、ウイルスなんもちろん俺自身はもらったことはなく、ほとんど自分には関係のない話だとばかり思っていたが、こうしてウイルス被害を身近に見ると、とても他人事とは思えなくなってくる。一応会社でも自宅でもウイルスチェックソフトは常にリアルタイムで稼働させているが、日ごとに新種のウイルスが発生している昨今、ただ漫然とウイルスチェックしているだけではとうてい万全とは言えない。きちんとパターンファイルを更新するのはもちろん、基本は「君子危うきに近寄らず」である。怪しいファイルやメール、Web サイトには出来るだけ近寄らないことが肝要なのである。と、お礼の焼肉をご馳走になりながら思ったのだった。


11月18日(土)
  本日は俺を雇用する会社のお抱えの学会が開催される関係上、土曜日ながらも全社的に出勤日。ここしばらくは休日出勤をしていなかったので、土曜日にも会社に行かなければならないと思うとちょっと憂鬱だ。しかし憂いがあれば喜びもある。今日の代休として来週の金曜日が休みになり、したがって来週末は勤労感謝の日と土日を合わせて都合四連休とあいなるわけだ。素晴らしい。

  ただの平日となってしまったそんな土曜日、今日も俺は午前中休みを取って通院。ついに四日連続の半日休暇である。ううむ、事情が事情だから仕方がないとはいえ、この忙しい時にやっぱりちょっとまずいような気がする。まあ、こんなに悪化するまで病院に行かなかった自業自得と言えばそうなのだが。

  ということでいつものように再来受付を済ませて待合室で待っていると、今日はどうにも様子がおかしい。外来受付のカウンタには受診受付をした人の名前が書いてあるボードがあって、診察を受けるごとにそれが上から順に繰り上がり、自分の診察順まであと何人待っているかがわかるようになっているのだが、それが全然更新されないのである。大混雑している内科(おそらくほとんどが風邪だろう)は今日も遅々として進まないのは相変わらずなのだが、俺が受診する外科は元々受診者数が少ないこともあるけれど、昨日や一昨日などはどんどん順番が進んであっという間に自分の番になったのに、今日は一体どうしたことか。そういえばさっき救急車のサイレンの音が聞こえてきて、なにやら外科のあたりが騒がしくなっていたような。

  昼もとっくに過ぎ、延々と待つこと二時間半。ようやく名前が呼ばれ診察室に入る。今日の担当医はまたまた変わり、昨日までの若先生達とはうって変わって年の頃は推定五十歳代、いかにもベテラン風の外科医であった。前日までの恒例により(恒例になったのか)この医者を芸能人でたとえると、であるが、うーむ、今日は難しい。強いて言うのであれば、ちょっと無理した蟹江敬三か。なにが無理だか。

  例によって半ケツを剥きながら診察台に寝そべると、「いやあ、お待たせしてすいません」と尻の向こうから蟹江敬三が話しかけてきた。やはり先ほどの救急車は外科の急患だったようで、詳細は不明だが相当な重症だったらしく、外来を診察していた蟹江敬三が急遽駆り出されて緊急手術の手伝いをしてきたそうだ。小一時間ほどかかった手術自体は無事終わり、とんぼ返りですぐさままた外来に戻ってきた、とのこと。ううむ、それは大変でしたなあ蟹江敬三氏。そういえば額に刻まれた深いシワが、いかにもぐったりお疲れという感じだったような気がするなあ。しかしそんな疲れているときにも野郎の尻をしっかり凝視しなけりゃならんとは、医者というのも因果な商売である。すいませんですなあ、尻で。

  そんな疲労困憊状態の蟹江敬三によって診察してもらったところ、もうほとんど腫れもなく、膿を出すために切開した部分も正常にふさがり、ほぼ完治といって良い、とのことである。念のためあと二日ほどガーゼを当てておくとして、もう通院の必要はないとの診断だ。俺の尻の上で猛烈に吹き荒れた毛嚢炎の嵐とも、ようやくこれでおさらばである。

  ということで、悪夢のような毛嚢炎騒動とどうにか手を切ることができたわけだが、病院の外に出る頃にはとっくに午後の勤務が始まったあと。結局今日は一日休みにしてしまった。


11月17日(金)
  今日もまた午前中会社を半休し、すでにおなじみとなった某総合病院へ。これで三日連続の通院である。最初は一日病院に行ってちょちょいと薬でも付けて、はいそれまでよ、なんて軽く考えていたのに、まさかこんなにもおおげさなことになるとは。たかが腫れ物できものと侮った私が馬鹿だった。ああしかし、これで俺の有休がどんどん消えていく。

  いつものように受付を済ませ、名前を呼ばれて診察室に入る。ここの病院はどこかの大学病院から日替わりで医者が派遣されているらしく、今日もまた担当医が変わっていた。一昨日の佐野史郎、そして昨日の伊集院光もそこそこ若そう(恐らく三十代前半)だったが、今日の医者はさらに若く、たぶんまだ二十代ってところだろう。研修とインターンがようやく終わり、現場第一線の医師にまだいくらも経ってないという感じだ。真っ白い白衣と首から掛けた新しげな聴診器が、そこはかとない初々しさを感じさせる。ちなみにこの医師も、誰かに似ているような気がする。ううむ、このさわやか系は、どこかで見たような顔なのだが…。

  と、いつものように半ケツを出して診察台に寝そべった瞬間ひらめいた。わかった。基本はさわやか系ながらも、曲がった口元がちょっといやらしげなあの男。ナインティナインの矢部だ。しかし佐野史郎に伊集院光、そしてナイナイの矢部って、一体どういう人選なんだか。この病院の外科には何かとんでもない秘密が隠されているような気がしてならない。

  追記するならば、担当の看護婦は今日も変わらず山岡久乃である。俺の尻に貼られたガーゼの山を容赦なくひっぺがす手つきに、看護婦生活二十五年(推定)のプライドが見てとれる。人に技あり年輪あり。

  昨日の深部切開(役立たず麻酔付き)による治療が功を奏したのか、ナイナイ矢部の見立てによると、膿がすっかり出きっておかげで巣くっていた細菌もあらかた駆除され、幸いなことに患部はほとんど治癒状態にあるらしい。確かに触っただけであれほど痛かったのに、今はもう患部を指で押さえてもほとんど痛みはない。指で触ってみるとよくわかるのだが、ひどい炎症をおこし、ぷっくりとしこりになっていた腫れもだいぶ小さくなり、滑らかな桃尻が復活しつつある。二度に渡る皮膚切開の激痛に耐えた甲斐はあったようだ。ここまでくれば、皮膚を切開することはもう恐らくないだろう。とりあえず一安心である。ただちょっと困るのは、いまだに風呂に入れないってことだな。

  今日のところは薬を塗り直し、ガーゼを替えて終了。ようやくこれで治療は終わりかと思いきや、明日もまた来いとのナイナイ矢部の指示。ええっ、そんな。明日って俺、通常出勤日なんですが。また半日有休かよ。


11月16日(木)
  今日も午前中は会社を半休して病院へ。昨日に引き続いて毛嚢炎の治療である。待合室は人でごった返している。見渡してみると大半は風邪をひいた人のようで、内科の受付近くは特に人数が多い。その人並みをかき分けて再来の受付をし、待合室の長椅子に腰掛けていると、ほんの数分で名前を呼ばれた。内科はまるで戦争のような忙しさだが、俺の治療を受け持つ外科(本来は皮膚科の領域だが、初診の昨日は皮膚科の診察が休みだったので外科を受診した)にはあまり患者が待っていないようだ。待たなくていいのはありがたいものの、しかしこれだけ早いとなんというか、心の準備ってもんがどうにも、だ。昨日のあの激痛の記憶が、ふと頭をよぎる。

  佐野史郎こと昨日の担当医から、今日は別の医者が俺を見ることになった。年は同じように若めのものの、痩躯の佐野史郎とはうって変わって、今日の医者はかなり太目、巨体である。血色よくぷっくりとふくらんだ頬肉と少しタレ目気味の目尻が伊集院光を彷彿とさせる。佐野史郎といい山岡久乃といい、そしてこの伊集院光といい、ここの病院はどうも芸能人に似た人間を採用する傾向があるようだ。院長の趣味だろうか。

「ありゃあ、また膿がたまってますねえ」
半ケツ丸出しの屈辱のポーズで寝そべる俺の尻を見た伊集院光は、開口一番こうのたまった。膿っておい、昨日切開して全部だしたんじゃなかったのか。ガーゼを入れて再発の防止をしたんじゃなかったのか。あの激痛に耐えた甲斐はなかったというのか伊集院光。

「じゃあもう一回、今度はもうちょっと深く切りますから」
ふ、深くって、あの、その。ぶっすり行くってことっすか。ざっくり行くってことっすか。いやあ。痛いのはもういやあああ。

「今日はちょっと深いんで、麻酔しますからだいじょうぶですよお」
え、麻酔?今日は麻酔してくれるの?って、ちょっと待て。麻酔ってことは注射でぶっすりとか?と、考える隙もなく手早く注射針を用意する山岡久乃。医者は変わってもこの鬼婦長は今日も健在である。患者に余計な思いを巡らさせる前にマシンガンのような手つきで器具を用意し、有無を言わせぬ暇を与えないこの手早さはやはりただ者ではない。

  ぶす。
  ビール瓶の口はあろうかと思われる野太い注射器の先端が、俺の桃尻の肉にめり込む。ただでさえ手で押さえるだけでも痛い患部に、伊集院光は冷酷に、そして正確に針先を突き立てていく。ぶす。ぶす。計三回、針の責め地獄は続いた。

「じゃあこれから切りますからねえ」
って、こら。まだ麻酔が効いてるのか確認してねえだろ伊集院光。だいたい麻酔を打ってから全然時間がたってないんじゃ。

さく。
「ぎええええ」
「あれ?痛いですか。おかしいなあ。麻酔効いてないのかなあ」
おかしいなあ、って言うに事欠いて貴様ああ。

さく。
「ぐええええ」
「うーん。もしかしてあなた、麻酔が効きにくい体質ですか?ははは」
わ、笑っとる場合かあっ。

「ま、もう少しだからちょっと我慢してくださいね(はあと)」
さく。さく。
「きしゃああああああっ」

  昨日切開したのはあくまでも表層部分であり、患部はドクター佐野史郎が見立てたよりももっと体内奥深くまで進行していたようだ。一応切開した部分から膿は出したものの、袋状にたまった膿は思ったよりも底が深く、そのために一日経った今日、残った膿に含まれていた細菌により再び悪化してしまったのだ。それらを全て取り除くために今日は患部最深部まで切り進んだのである。麻酔の効きが今ひとつだったのは、おそらくドクター伊集院光が薬量を少なく見積もってしまったためだろう。別に俺は麻酔が効きにくい体質ということはなく、それが証拠に先日行った歯医者ではちゃんと効いたのだ。

  なんにせよ、患部を切り開き膿を全部出しきって、これで全て終了である。メスの激痛に耐え、針の責め苦にも声を殺して我慢した、痛覚地獄はようやく終わりである。山のようなガーゼで覆われた尻をズボンで隠し身支度を整え、ようやく安堵した俺に、伊集院光はにこやかな笑顔で言うのだった。
「じゃ、明日もまた来てください」

  頼むから俺を殺してくれ。いっそのこと楽にしてくれ。


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