みくだり日記    2002年06月前半
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06月12日(水)
  先日来の真夏のような気候から、今年は梅雨をすっ飛ばしてとっくに夏に突入しているのかと思っていたのに、やっぱりちゃんとあるんですね。しかし気の早い今年の空のこと。梅雨明けしたら今度は秋かも。   

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  消しゴム版画家のナンシー関氏が急死。つい先日も週間文春に連載中のコラム「テレビ消灯時間」を(立ち読みで)読んだばかりだったのに。あまりに突然のことで信じられない。独特の味のある「消しゴム版画」はもちろん、この人から生み出される「毒」と「牙」のある文章が私は大好きだった。それがもう二度と読めなくなると思うと本当に残念だ。正直言って、今私は QUEEN のフレディ・マーキュリーが死んだときと同じくらいの衝撃を受けている。とにかく今はただご冥福を祈るだけである。
06月09日(日)
  車の左後輪から異音がしていたのだった。気づいた当初はかなり注意しないと聞こえない程度だったのだが、ここ最近はかなり酷くなって、窓を閉めていても「キュルキュルキキー」となかなか盛大な音が聞こえてくるようになってしまった。考えられるのは駆動系(特にリアデフ)、サスペンション、あるいはブレーキまわりだろうか。残念ながらまともなジャッキもウマも持っていないので、ジャッキアップして子細に点検することはできないのだが、とりあえず外見上から異常は判断できない。仕方なしにディーラーにて見てもらうことにした。

  ところがディーラーで技術の人を乗せて走ってみると全く出ないのだった。実際ディーラーに来る道すがらでもキュルキュルキーキー鳴きまくっていたのに、症状確認のために同乗走行したらピタリと止んでしまった。なんでだよ。こうなると私も意地である。もしかしたら走行パターンになにか関連があるのか。適当に加減速したりちょっと鋭くコーナーに切り込んでみたりしてみたのだが、あれだけ出ていた症状が全然出ない。結局ディーラーの周りをグルグル走り回ること一時間あまり。無駄にガソリンを浪費しただけに終わってしまった。来週もう一度車をあずけて見てもらうことになったが、なんとなくまた症状出ずで終了のような気がする。こういうのもマーフィーの法則なんでしょうか。   

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  「文福茶釜」(黒川博行著:文春文庫)読了。
  大阪を舞台に、古美術品、骨董に群がる魑魅魍魎の世界を題材にした連作短編集。美術系、しかも古美術品を題材にした小説とのことから、蘊蓄・含蓄にあふれた話かと思ったら全く違う。美術雑誌の関係者や道具屋、表具屋、美術ブローカーなど、いわゆるその道のプロの登場人物たちが、美術品を巡って騙し騙されのマネーゲームを繰り広げる。「関西版ギャラリーフェイク」ってところか。

  芸術というと高尚で価値のあるものという思いこみがあるが、真作と贋作の区別もつかずありがたがっている人を食い物にする商売もあるんだなあ、と妙に感心した。具象彫刻は今は人気がない、とか雪舟の本物はこの世に数点しかないとか、応挙の真作もきちんと所在がわかっているから掘り出し物なんか無い、など美術界に関する雑学も面白い。小悪党連中が関西弁で繰り広げる、どこか漫才めいた欲得づくのやり取りも、ユーモラスで楽しい。やっぱりこういう(ちょっと汚い)商い言葉には関西弁がよく似合うような気がするのは、私が関東の人間だからだろうか。


06月05日(水)
  先々週から始まった虫歯治療は、まずは奥歯の虫食いから始まった。先週までに患部を削り、さらに神経を抜いて、主だったところはほぼ終了。あとはごっそり開いた患部に薬を詰めて被せものをすれば完了である。

  ということで、今日は薬をゴリゴリ詰めていく治療であった。針先に塗った薬で患部をいじくっても、すでに神経を抜いて感覚はないはずだから、もう麻酔はうたない。しかし歯根の奥底にわずかに残った神経が、ときおり敏感に反応する。

  「もしかしてこれ、痛いですか?」
  「ウガウガ(痛いです痛いです大変痛いです)」
  「ええと、じゃあこれも?」
  「フガフガウガーッ(だから痛いです痛いですとても痛いです)」
  「あそう。とりあえず我慢してくださいねー」

  だったら聞くなよ。麻酔うてよ。

  歯医者は絶対楽しんでいると思う。


06月04日(火)
  昨晩はほぼいつも通りの時間(午前三時)に寝床に入り、そしていつも通り約三秒で夢の世界へ落下していった。いつもならこのまま翌朝の起床時間まで目が覚めることはほとんどないのだが、なぜか途中でぱっちり起きてしまった。

  時計を見ると午前五時。非常に寝起きの悪い私のこと。普段なら眠りから覚めて活動を開始するまでにたっぷり五分はかかる。しかしどういうわけか、頭も肉体もいきなり完全に覚醒モードに入っている。このまま寝床にいても眠れそうになり。しかたがないのでもそもそと起きだして、カーテンの隙間から外をのぞいてみる。すっかり夜は明けている。いくぶんもやのかかった朝の柔らかい光が、起き抜けの目にまぶしい。いつの間にやら朝が早くなっている。そういえば暦は早くも六月である。夏至ももうまもなくだ。日が昇るのが早いのは当たり前だなあ。

  などとまったり季節を感じている場合ではない。問題は現在の状況をどう乗り切るかだ。とりあえず寝床に帰り、ごろりと横になって天井を眺めつつ考える。いっそこのまま起きっぱなしにして、適当なところで会社に行ってしまうか。それともなんとか再び寝る努力をするか。寝る努力? って、どうすりゃ眠れるのよ。だいたい眠れないから起きてるのだし、起きてるから眠れないのだ。と逡巡してもしかたなし、まずは古典にかえって羊を数える。百を越えたところで嫌になる。本でも読んでひたすら字面を追いかければどうか。読みかけの本は昨晩読み終わったばかりだった。ならば寝酒でも呷ってみるか。この時間だと寝酒というより朝酒か。翌日(今日だった)仕事をひかえる真っ当なサラリーマンとして、それはどうかと思う。

  ううむ困った弱った。やはりこのまま薄らぼんやり天井を見ながら、時間が過ぎるのを待つのが得策か。そのうち朝も明けていくことよ。

  気がつくと、先ほどと様子が少し変わっている。外からの光がまぶしさを増している。おおっ、いつの間にやら眠っていたのか。で、今何時だよ。時計を見る。午前十時ジャスト。なにがジャストだか。


06月03日(月)
  してみると、人間なんて止めどない欺瞞とくだらない妄想の海に浮かぶクラゲのようなものだ、と思う。泡と泡、滴と滴が重なり合って弾けるその刹那、己の属する海の理を知るのだ。所詮、人の生などうたかたの夢。泡と散るのがいつなのか、今は知る由もないけれど、その日その時が訪れるまで、せいぜいもがいてみるとしましょうか。浪花節だよ人生は。

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  「レフトハンド」(中井拓志著:角川ホラー文庫)読了。
  レフトハンドウイルス(LHV)という致死率 100% のウイルスが製薬会社の研究所から漏洩した。ウイルスの充満した研究棟は封鎖されるが、しかし建物の中には研究者たち(もちろん LHV に冒されている)が居残る。市中へのウイルス拡散を盾に、研究のための新たな実験体を要求した。という冒頭部から、いわゆるところのバイオハザード系ホラーか、と読み進んでいくとさにあらず、物語はどんどん妙な方向へと突き進んでいく。なにせ登場人物が揃いも揃って歪んだ人格者ばかりなのだ。

  たとえば現場調査として派遣された学術調査員からして歪んでいる。一般市民が研究棟に放り込まれようが LHV の出所がどこだろうが知ったことでなく、あるのはその謎を解きあかし、学会で自分の名を知らしめたいという欲望だけで行動する男だ。その調査員の周囲の人間も、バイオハザード発動で駆り出されたものの一刻も早く厄介ごとから手を引きたいと考えている厚生省の役人、暴走したのはあくまでも一研究者で、こちらには関係のないことだとしらを切る親会社、バイオハザードはこちらの管轄外だと手をこまねいているだけの公安当局など、すぐそこに殺人ウイルスが存在することなどお構いなしに栄誉や保身に走る人間が取り巻いているという案配。設定された環境の割に、こうした人間模様が醸し出す危機感のなさが物語全体を支配する。また、実験台としてウィルスの充満した研究所に連れてこられた男女二人の学生も妙。普通のバイオホラーものだったら彼らの決死の脱出行が描かれ、ついでに恋が芽生えて、なんて展開になりそうなものだが、この物語では全くそっちにも行かない。

  ということで、結局ウイルスとの闘いもなくカタルシスもなにもないままに、エキセントリックな人物たちが右往左往するうちに、物語は静かな終幕を迎えてしまう。ううむ、なんなんだ。それでも少しずれ気味のバイオホラーという感じで結構楽しめたのが不思議。


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